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3月11日 東北大地震当日

SORCERIAN Data Room、Ys MUSIC FILESの管理人は、宮城県仙台市在住です。
今回の東北関東大震災で被災を受けましたが、その程度は比較的軽微でした。
私は翌日から被災日記を付けており、今日ネットが復旧しましたので、
地震当日からの様子を書き込んでいきたいと思います。
なお、この日記には時々家族と口論する場面が出てきますが、
基本的には関係は良好ですので、文面で受ける印象よりは深刻なものではないと思います。



3月11日

この日は2時10分頃自宅へ帰ってきた。
玄関には、Amazonで注文したロードモナークの本が届いていた。
少し落ち着いてコタツに入って寝転び、届いた本を読んでいると・・・

「カタカタカタ・・・」
ん?地震・・・か?

「カタカタカタガタガタガタ・・・」
これは・・・大きい・・・ぞ。

揺れ方に嫌な予感を感じとり、コタツから急いで出て台所に走る。
ガラス戸を開ける。
激しい地震で家が傾いても脱出口が塞がれないようにするためだ。

「グラグラグラグラ、グアン、グアン、グアン、グアン・・・」
でかい!!!!
強く、大きく揺れる。

去年買ったばかりのTVが落ちる。

トースターが飛ぶ。

・・・長い。強い揺れが収まらない。

「ガシャッ、ガシャンッ、ガシャンッ・・・」
家の瓦が次々と落ちる。

・・・ようやく揺れが収まって・・・こない!!
また強い揺れ。

このままでは家が潰れるか?
脱出するか?いや、それは危険だ。

まだ強い揺れが続く。
いつまで揺れるんだよ!!!
天に向かって思わず叫ぶ。

・・・一生続くのではないかと思った揺れも、ようやく小康状態に入ってきた・・・。
強い揺れは時間にして3分超。

P1013857ct

庭に出て様子を見ると、屋根の瓦が散乱している。
・・・隣の家はどうなってる?

表に出ると、通りの人たちも道路に出ていた。
地震は断続的に続いている。
近所の人たちが、我が家から道路に落ちた瓦を道路脇に避けてくれた。

P1013858ct



家族は・・・。
母、長兄、東京の次兄にメールを送信。

・・・東京の友人からメールが来る。
だいぶ揺れたようだが東京はとりあえず大丈夫っぽいか?
『生きてる。停電。』
即、短い生存メールを出す。

家の中に入ると・・・固定していない本棚が倒れ、居間のPCモニターも落ちている。
そして、当然の如く停電・・・。
家中を見回ると意外と被害が少ない。固定した本棚からは物が落ちていない。
書斎の大きなPC&PCモニターも、動いているが落ちてはいない。

・・・また強く揺れる! 
外に出る。危なくておちおち家の中に居られない。
散乱した瓦の掃除をしながら、近所の人たちと会話をする。
「車のラジオは聞けたよ」
・・・そうか! 

車に入りラジオをつける。
同時に携帯電話も充電。
携帯でネットに接続する。
震源は・・・茨城?!そんなに遠いのか?!
大津波警報が10m以上!!・・・まさかそんな・・・
家は山なので津波の心配はないが、海岸部ほとんどが飲まれてしまう。

・・・よくよく見ると、2時46分の震源は宮城県沖。
想定していた「宮城県沖地震」の震源域だ。
※実際は想定の「宮城県沖地震」ではありませんでした。

雪が降ってくる・・・。

P1013859ct



町内の人が見回りに来た。家の塀がやや傾いて危なかったので、
ビニールロープで、人が入らないように囲ってもらう。

「いやぁ、(33年前の)宮城県沖地震より大きかったなぁ」
「そうなんですか?」
知識としてはあるが、私はその時まだ生まれていない。
「今回のは想定してた地震なのかな?」
「間違いないですよ。ネットで確認しました。M7.9だそうです」と私。
「そうかぁ、じゃあ今回生き延びられたから俺はもう大丈夫だな。30年後はもう生きてないから(笑)。」
確かに、自分も今回の地震で生き延びられた。
でも、さっきから胃が痛い。強いストレスを感じている。


郵パックの車が、家の前に着けた。「・・・ん?」
「こんな時にすいません。お荷物を届けに来ました。」
「よく、ご無事で・・・、どちらから走ってきたんですか?」
「町中の方から、山をかけてきました。」
「町や山の方の様子はどうなんです?建物とか・・・」
「一つ倒壊してるビルがありましたけど、ほとんど大丈夫でした。
 信号止まったり、ひびが入ってたりする建物はありましたが」
「じゃあ町中はわりと無事なんですね?それ以外に何か情報入ってます?」
「いえ、他には何も」
「宮城県沖でM7.9だそうです。津波が10m以上だとか。」
「えっ・・・、そうなんですか?」

荷物を受け取る。
「車で走っていくとき、お気を付けくださいね」
何度も言葉を交わし、見送った。

「プルルルルルル・・・、プルルルルルル・・・」
家の中から音が聞こえる。
電話が鳴ってる?!固定電話の電話線は大丈夫だったのだ。
慌てて家の中に駆け上がり受話器を取る。
「もしもし?」
母からだった。生きていた。ほっとする。

母は行ける所までバスで帰ってくることになった。
電話線が無事なのが分かったので、近くの高台に住む祖母と叔父の家に電話。
・・・通じた。二人とも無事だった。
岩盤が固い場所だし、家も比較的新しいので、
大丈夫だとは思っていたけれど、安心した。あとは長兄だけだ。

少し落ち着いたので東京の仲間たちにもメールをする。
水はまだ出ている。一応少しだけ汲んでおく。

団地を少し歩いてみて、被害状況を確認する。
塀の頭が倒れているところはあるものの、意外と被害は少ない。
津波が気になる。志津川(南三陸町)の親戚たちは逃げているだろうか・・・

5時半頃、母との待ち合わせの生協へと車を走らせる。
信号は幹線国道以外止まっている。
店々にはすでに行列が出来ていた。
地下鉄富沢駅近辺は比較的落ち着いている。
母を待つ間、自分も行列に並ぶ。
時々起る強い余震。その度に建物から離れる。

ようやく母と合流。自宅へと戻る車の中で話し合い、祖母宅に行くことに決めた。
地盤が強く、家も新しいのでそちらの方が安全だ。祖母も安心するしエネルギーもかからない。
家に戻ると、長兄も帰ってきていた。一通り食べ物や着替えなどを持ち祖母宅へと向かう。

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コメント

大きな災難の中、これだけの記録を残された精神力に感服します。

本当に、命があって何よりです。

まだまだ大変な状況、不便が続くかと思いますが、お身体に気をつけてお過ごし下さい。

気分がいたたまれない時は話し相手になりますので、いつでも連絡下さいね。

何か伝えたくて、でも言葉を選んで、そんな事を考えていたら何も言葉が出て来なくなりました。
とにかく、まずはご無事でなにより。

お二人とも、本当にありがとうございます。
私は、ほぼいつも通りの精神状態に戻った感じです。
疲れは残っていますけれど。

ツイッターの方でまたいつも通りお相手ください(笑)。

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