3月18日~21日 震災後1週間~
3/18
10時。
起きた。洗濯、食器洗いなど家事一般をする。
帰ってくる母を迎えに行く車の中でラジオを聞く。
下水処理施設が津波で壊滅状態で、
下水が町中に溢れ出す恐れがあるため、
水の節約を呼びかけているとの事だった。
やはりライフラインはまだまだ復旧できてはいない。
上水道は復旧したとは言え、水の節約は続けなければならない。
長兄が帰ってきた。通勤用の自転車を買って来た。
兄の車にはガソリンがほとんど入っていないため、
バスか徒歩で行くしかなかったのでかなり不便をしていた。
仙台では同じように自転車に乗る人がかなり増えている。
親戚から電話がかかってくる。
志津川の親戚の安否が、もう一人確認できた。
確認できていないのはあと一人なのだけれど、絶望的のようだ。
一度避難所まで行った後、自分の船が心配だからと、
海まで戻って行ってしまったらしい。そして津波・・・。
どうなったのかはまるで分らない。
地震から1週間が経った。あっという間だった。
自分の状況はかなり好転したものの、津波の被害を受けた地域は、
まだまだ予断を許さない状況が続いている。
ツイッターで色んな人の呟きを地震直後から辿って見てみる。
地震当日は東京もかなり混乱状態だったことが良く分かった。
皆に、今までのお礼を兼ねてリプライをする。
3/19
3時。皆のツイートを見てリプライを返していたらこんな時間になってしまった。
全員のは見られていないけれど、さすがに眠い。もう寝た方がいいだろう。
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3/19
10時。
かかってきた電話で目が覚めた。
母が電話をとる。「工務店の人、お家に来ているよ!」
お隣さんが知らせてきてくれたのだ。慌てて起きる。
叔父はちょっと離れたスーパーまで買い出しに出て行ったようだ。
自分は朝食を食べずに、缶コーヒーとビスケットを2つ持って我が家へ急ぐ。
自分の団地に戻る。スーパーには行列が出来ていたけれど、
公衆電話には誰も並んでいなかった。
我が家に到着。駐車場には工務店のトラックが入っていた。
すでに屋根の応急処置を始めている。シートは間に合ったらしい。
お隣さんたちに、祖母宅から持ってきた水を配りに行き会話。
団地内の水の復旧はもうしばらくかかるようだ・・・。
応急処置で使わなかったシートを丁重にお返しして、
祖母宅へと戻ることにした。
帰る途中、祖母宅近くのドラッグストアが営業しているのを確認。
家に戻ると叔父が帰ってきていた。2時間並んで10点しか買えなかったらしい。
昼食は焼うどんと残り物のスープ。しばし休憩する。
15時。
さっき営業しているのを確認したドラッグストアへと行ってみる事にした。
我が家から持ってきた自転車に乗って。
行く途中で、虹が見えた。写真に撮る。
ドラッグストアは15時までの営業だったけれど、入れてもらえた。
食品類はあまり残っていなかったけれど、
スポーツドリンク1本、カップ麺1個、のど飴1個、レトルトご飯1個、
マスク、そしてお婆ちゃんのためにホッカイロを一つ買って来れた。
帰り際に病院がいつ開くのかを確認すると、
「22日までには開けるよう努力する」との張り紙があった。
久しぶりの自転車は太ももが疲れる。
まだ出ている虹を写真に収めながら帰宅。やっぱり疲れた。
空いた時間にゲームボーイアドバンスのメトロイドゼロミッションをプレイ。
兄はメトロイドフュージョンを遊んでいる。どちらも名作。
夕飯は冷凍していた魚。
叔父が我が家から持って来た『ドラえもん』を読んでいる。
「1巻はないのか?」と叔父。
「ドラえもんとのび太はどうやって出会ったんだ?」
気になるのはそこか(笑)。探してみたけど1巻は持って来てなかった。
「緊急地震速報です」また嫌な音が鳴った。どこだ?
北茨城で震度5強。・・・原発は大丈夫だろうか?
しかし、茨城県沖は随分と余震が多い気がする。
ひょっとしたら宮城沖よりも地震そのものの被害は大きいかもしれない。
お湯を沸かして、体を洗った。
お風呂はもうしばらく入れそうにない。
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3/20
寝た。とにかく寝てた。ひたすら。
夜、ネットにアップされた津波の動画を見た。
地震直後にNHKで中継されてた動画だ。
見知った場所が、津波に飲まれていく。
これが中継されていたのか・・・・・・
宮城県内は地震直後に全域が停電になったから、
この映像はほとんどの人が見ていなかったはずだ。
・・・見ていられない。見るのをやめた。
自分の生活圏の土地が、今はまったく違う風景に変わっているだろう。
ガソリンも不足しているので、あまり大きく移動ができないから、
津波被害にあった地域はまだこの目で見てはいない。
仮に、今見に行ったとしても邪魔になるだけだ。
いずれ見に行く事になるだろうが、その時が怖い。
津波の被害を目の当りにしたら、どのように感じるのだろうか。
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3/21
朝食はホットケーキ。お昼はおそば。
二日ぶりに我が家へと戻る。
団地内はだいぶ落ち着いてきていた。
自宅の屋根を高台から見てみる。
応急処置はされているけれど、あれで大丈夫なのかな・・・
母と会話していると、通りがかったおばさんが話しかけてきた。
今回の地震の建物の被害の話をする。
そして、息子夫婦の話・・・と言うか愚痴(笑)。
しばし会話を続けた後、団地にあるスーパーへと行ってみる。
今日は並ぶことなく普通に物が買えた。
生鮮品は一つも置いていなかったけれど、
餅やお菓子類を特に制限もなく購入できた。
種類が豊富なわけではなかったけれど、量としては十分だろう。
これでそれなりに余裕が生まれたはずだ。
お菓子類(特に甘いもの)は意外と欲しくなるものだ。
お隣さんたちに、祖母宅から持ってきた水を配る。
あまり大量には持って行けないのだけれど、
それでも口々に感謝される。今一番欲しいのは水なのだと。
よく分かる。祖母宅は一足早く水が復旧しているけれど、
復旧するまでの間一番神経を使ったのは水の管理だった。
長い時間会話。この10日間で人との会話は増えた気がする。
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震災後10日経過し、自分の状況がかなり落ち着いてきたこと、
そして、ネットが復旧しツイッターなどで状況を話す事も多くなったため、
日記を書くのはこの辺りで止めています。
私は未だ祖母宅で生活し、自宅にはたまに帰ると言う生活で、
震災前の日常に完全に戻ったわけではありません。
ガスが復旧してないのでお風呂にも入れてはいませんし。
早く自宅に帰って以前の状況に戻れればと思いますが、
それはもうしばらく先になるのかなとも感じています。
幸いな事に、瓦と塀、いくつか入ったヒビ以外に家の損害はありません。
屋根を直すのは結構大変そうですけど。
物の損害は、お花を生ける瓶とガラスコップ1個だけ。
「私は恵まれている。」この2週間、絶えずそう感じていました。
皆さんは私の日記を読んでみてどのように感じたでしょうか?何を考えたでしょうか?
言葉にするのは難しいかもしれませんが、
思いや考えをコメントに残して頂けたらと、思います。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
今回は本当に大変な状況でした。一つ間違えばもっと大変な状況に遭われた可能性があると思うとほんと無事でよかったと思います。
被災されてから最近までの状況や行動を文字に書き起こしていただき、より鮮明に被災された人の生活と言うものを目の当たりにする事が出来ました。体力はもちろんの事、精神的にも弱っていたでしょうし色んな思いがあったでしょうがありがとうございます。
手段は様々ですが、やはり人との繋がりってのは大切であり嬉しい瞬間なんですよね。書かれた日記を読んで思いました。
あと今回ネットの影響で情報量とスピードが以前の阪神や新潟の時とは段違いだったと言われていますが、実際に被災された皆さんや地域にはまだまだ届いていなかったようです。それをどれだけ早く正しく伝えられるのかってのが情報における次の課題なのかもしれません。
日本全国色んな事を考えさせられる今回の一件ですが、被災された皆さんや被災地の復興のため出来る限りの応援をしていきたいです。
普段の生活に戻すためにまだまだこれからやらなきゃいけない事が沢山あると思いますが、少しずつでも前向きに過ごしていただければと思います。
( ゚д゚)ハッ! 長文すみませんでした‥
投稿: 通常の名無しさんの3倍 | 2011/03/26 23:59
日常の中で、今回津波被害にあった地域に行く事も当然ある訳で、
地震が起こったときその場所に居なくてよかったなと言うのが、偽らざる心境ですね。
私の場合は、住んでいる家は健在で食料ストックも十分、ライフラインの復旧も比較的早かったので、被災地とは言っても状況的にはかなり楽な方だったと思います。
被災地では地震・津波によるインフラ破壊と停電の影響でTV・携帯・ネットへの接続できないと言う事態が起きていました。
どんなにネット上での情報伝播が早くても、それを受け取る端末が機能していなかったんですよね。
そして、久々にネットに接続して感じたことは、情報が多すぎる、錯綜している、いわゆるデマが氾濫していると言う事でした。
日々情報を追っていれば、事の真偽を判別できるような情報なのですけど、1週間ぶりにネットを見た時はさすがに動揺してしまいましたね。それこそ浦島太郎の気分でしたよ。
正直言って、今の自分に出来ることはそう多くないのですけれど、節電と節水を心掛けるのが今の課題かなと感じてます。自分の状況は好転しているのですけれど、それに安住してしまい、津波被害のあった地域に悪影響のある行動を取ってしまうようなことは現に慎まなければいけませんからね。
投稿: tk_nz | 2011/03/27 03:39
初めてブログを見せてもらいました。とても読みやすい文章で、さすがtk_nzだと思いました。
しかし、今回の地震は本当に怖かったですね。しかも長かった。 家族や知人も全員無事だったのが幸いでした。石巻の同僚も何とか生きていました。
私も今、避難所で生活をされている方の為に何か出来ないかと思い、出来る限りの節水、節電を心掛けてます。
もう少しの辛抱です。明けない夜はない。これからも無理はしないで出来ることから少しずつ初めていきましょう。
投稿: | 2011/04/02 22:10